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福岡高等裁判所 昭和45年(ネ)22号 判決 1972年10月12日

一審原告 森本勇

一審被告 竜口茂

<ほか六名>

以上一審被告ら七名訴訟代理人弁護士 吉永普二雄

主文

一、一審原告の一審被告城戸ヒデ、同林康博、同原田豊秋に対する本件控訴を却下する。

二、原判決中、一審被告竜口茂、同城戸兼光、同城戸勝吾、同城戸輝治に関する部分を、次のとおり変更する。

(一)  一審被告竜口茂、同城戸兼光、同城戸輝治は一審原告に対し、各自金一〇〇万円およびこれに対する昭和四一年五月七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  一審原告の右一審被告らに対するその余の請求および一審被告城戸勝吾に対する請求を棄却する。

三、一審被告竜口茂、同城戸兼光、同城戸輝治の本件控訴を棄却する。

四、訴訟費用中

(一)  第一審における訴訟費用は

1、一審原告と一審被告竜口茂、同城戸兼光、同城戸輝治との間においては、一審原告に生じた費用の五分の三を右一審被告ら三名の負担とし、その余は各自の負担とし

2、一審原告と一審被告城戸勝吾との間においては、全部一審原告の負担とし

(二)  控訴費用は

1、一審原告と一審被告竜口茂、同城戸兼光、同城戸輝治との間においては、一審原告に生じた費用(一審原告提出の昭和四六年一二月四日付控訴状拡張申請書に貼用の印紙額五万二、五〇〇円の費用をのぞく。)の五分の三を一審被告竜口茂、同城戸兼光、同城戸輝治の負担とし、その余は各自の負担とし、右印紙額五万二、五〇〇円の費用は一審原告の負担とし

2、一審原告と一審被告城戸勝吾、同城戸ヒデ、同林康博、同原田豊秋との間においては、全部一審原告の負担とする。

事実

一審原告(以下、原告と略称する。)は、頭初、一審被告(以下、被告と略称する。)竜口茂、同城戸兼光、同城戸勝吾、同城戸輝治に対してのみ控訴を提起し、かつ金員支払いを求める部分の請求を減縮して、「原判決中、右被告ら四名に関する部分を次のとおり変更する。右被告ら四名は原告に対し、連帯して金三〇〇万円およびこれに対する昭和四一年五月七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払い、かつ、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、西日本新聞の各全国版朝刊に、三日間にわたり、縦三センチ、横二センチの原告の写真とともに五号活字をもって別紙文案による謝罪広告をせよ。訴訟費用はこれを一〇分しその一を原告の負担とし、その九を右被告ら四名の連帯負担とする。」との判決を求めていたが、その後、右金員の支払いを求める部分の請求を拡張して「右被告ら四名は原告に対し、連帯して金一、〇〇万円およびこれに対する昭和四一年五月七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決を求め、さらに一審被告(以下、被告と略称する。)城戸ヒデ、同林康博、同原田豊秋に対しても控訴を提起し、「原判決中、右被告ら三名に関する部分を取り消す。右被告ら三名は原告に対し、連帯して金一、〇〇〇万円およびこれに対する昭和四一年五月七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払い、かつ、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、西日本新聞の各全国版朝刊に、三日間にわたり、縦三センチ、横二センチの原告の写真とともに五号活字をもって別紙文案による謝罪広告をせよ。訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告の、その九を右被告ら三名の連帯負担とする。」との判決を求め、被告竜口茂、同城戸兼光、同城戸勝吾、同城戸輝治の本件控訴につき、「右被告ら四名の本件控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも、右被告ら四名の負担とする。」との判決を求め、

被告竜口茂、同城戸兼光、同城戸勝吾、同城戸輝治(以下、被告竜口茂ら四名という。)の訴訟代理人は、「原判決中、右被告ら四名敗訴部分を取り消す。原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも原告の負担とする。」との判決ならびに原告の右被告ら四名に対する本件控訴につき、「原告の本件控訴を棄却する。控訴費用は原告の負担とする。」との判決を各求め、

被告城戸ヒデ、同原田豊秋、同林康博(以下、被告城戸ヒデら三名という。)の訴訟代理人は、原告の右被告ら三名に対する本件控訴につき控訴却下の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠関係≪省略≫

理由

一、まず、被告城戸ヒデら三名に対する本件控訴の適否の点であるが、記録によると、原告に対する一審判決正本の送達は、昭和四四年一二月二四日になされたのにかかわらず、同被告らに対する本件控訴状は、右判決正本送達の効力が生じた日から二週間を経過した後である昭和四六年一二月三日に当裁判所に提出されたことが明らかであり、右控訴提起期間のかい怠が、原告の責に帰することができない事由によるものである点については、これを認めるべきなんらの資料もないから、追完の余地もないものといわなければならない。そうだとすれば、原告の右被告ら三名に対する本件控訴は不適法であり、却下を免れない。

二  また、被告竜口茂ら四名に対する本訴請求中、金員の支払いを求める部分の請求について、原告は、当審において、その請求を拡張し、右被告ら四名に対して、金一、〇〇〇万円およびこれに対する昭和四一年五月七日から支払いずみまで年五分の割合による金員の連帯支払いを求めているが、記録によると、原告は、原審における右と同趣旨の請求につき、これに対する第一審判決があった後である当審において、「右被告ら四名は原告に対し、連帯して金三〇〇万円およびこれに対する昭和四一年五月七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支え。」と減縮したのち、更にこれを前記のように拡張したものであることが明らかである。ところで、請求の減縮は、当事者の意思が不明な場合においては、訴の一部取下であると解すべきであるところ、本訴においては、右請求の減縮をした原告の意思が請求の一部抛棄あるいは訴の一部取下をなすものであるのか不明であるので、これを訴の一部取下と解するのが相当である。しかるところ、右訴の一部取下の趣旨が記載された原告の本件控訴状が右被告ら四名に最終的に送達された昭和四五年一月一九日から三か月内に右被告ら四名において特に異議をのべなかったことは、記録上明らかであるから、右訴の一部取下は右三か月の期間経過により当然その効力を生じ、したがってその後になされた前記請求の拡張は、民訴法二三七条二項の規定により、許されないものというべきであるから、原告の右被告ら四名に対する金員の支払いを求める請求は、右減縮された趣旨の範囲内において、審判の対象となっているものというべきである。

三、そこで、原告の被告竜口茂ら四名に対する本訴請求の当否について、以下判断する。

原判決記載の請求原因一、二の各事実および同二の事実中原告が昭和三八年四月三〇日施行の田川市議会議員選挙に立候補して落選したことはすべて当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  訴外深野禮次郎は、昭和三六年三月二四日、被告兼光から、同人所有の田川市大字伊田字桑池二、九五八番地の一四所在の木造瓦葺二階建店舗兼住宅一棟建坪約四〇坪外二階約三八坪五合のうち道路に面した階下南側六坪の部分を、衣料品営業用店舗(ただし通勤用)として、権利金二〇万円、賃料一か月一万七、〇〇〇円、期間同年四月一日から昭和三八年三月三一日までの約定で賃借するにあたり、被告兼光の要請を容れ、同人の税金対策上、表家賃を一か月一万円、裏家賃を一か月七、〇〇〇円とし、その賃貸期間当相の裏家賃合計一六万八、〇〇〇円(一か月七、〇〇〇円の割合による二四か月分)を被告兼光から訴外深野に対する貸金とし、権利金二〇万円についても内金五、〇〇〇円を支払った残額一九万五、〇〇〇円につき、右同様これを被告兼光から訴外深野に対する貸金としたうえ、右二口の各債権につき、被告兼光の娘婿で当時同人と同居していた被告竜口を形式上の債権者とする各金銭消費貸借契約公正証書を作成することとし、訴外深野および被告竜口のほか、被告兼光の次男で当時同人と同居していた被告輝治以上三名は、前同日、福岡法務局所属公証人中富精一に嘱託し、いずれも債権者を被告竜口、債務者を訴外深野、連帯保証人を原告外二名として、右一九万五、〇〇〇円の貸借がなされた旨の金銭消費貸借契約公正証書(以下、第一の公正証書という。)および右一六万八、〇〇〇円の貸借がなされた旨の前同公正証書(以下、第二の公正証書という。)を作成したが、右各公正証書に原告が連帯保証人と記載されているのは、訴外深野が、原告の妻訴外森本静香から前記被告兼光との間の家屋賃貸借契約の保証人になってもらうという約束で貸与をうけた原告の印鑑や委任状などを冒用してなされたものであり、原告は右各公正証書にうたわれる訴外深野と被告竜口間の各金銭消費貸借契約についてなんら連帯保証をした事実もなければ右各公正証書作成を委任したことはなく、右各公正証書は原告の関与することなく作成されたものであること。

(二)  そして、訴外深野は、右賃借店舗を使用して衣料品販売業を営んでいたが、営業不振のため、昭和三六年一〇月七日、訴外兼光との間で右賃貸借契約を合意解約したうえ直ちに右店舗を明け渡したので、被告兼光に支払うべき右賃借期間中の賃料は表裏合わせて総額一〇万五、八三八円(なお一〇月分は日割計算)であったところ、訴外深野は、右明渡当時までに右賃料および前記権利金二〇万円の内金として、合計約一〇万四、〇〇〇円を支払い、三万五、〇〇〇円を出捐して店舗に設備したシャッターをそのまま残して右店舗を明渡しただけで、その余の支払いをしなかったが、右賃料および権利金の未払分については、当時、被告兼光らからは特にきびしい督促はうけなかったこと。

(三)  ところが、右明渡から約一年を経過した昭和三七年一〇月ごろ、訴外深野は、田川市内の路上で偶然出会った被告輝治から金員支払いの請求をうけ、次いで、被告竜口、同輝治は同年一二月一日第一の公正証書につきその執行正本の交付をうけたうえ、同月一三日、被告竜口において訴外深野に対する貸金残一四万六、〇〇〇円の債権があるとして、前記第一の公正証書を債務名義として、原裁判所に対し、当時田川市議会議員であった原告の議員歳費に対する債権差押および取立命令を申請してその発令を得、同月一三日その送達がなされた(以下、第一の執行という。)ので、原告は直ちに被告竜口を相手方として、訴外深野が被告竜口から右のごとき金員を借用した事実はないし、原告が右債務につき連帯保証人となることを承諾した事実もなく、また原告が右公正証書を作成するため訴外深野に代理権を与えた事実もないことを理由とする請求異議訴訟を原裁判所に提起し(同裁判所昭和三七年(ワ)第一一三号事件)、翌昭和三八年初めごろからその審理が開始されたところ、被告竜口は、更に、訴外深野に対する貸金残一二万円の債権があるとして、前記第二の公正証書を債務名義として、原裁判所に対し、原告所有の不動産に対する強制競売の申立をなし、同年七月八日競売開始決定がなされた(以下、第二の執行という。)ので、原告は、これに対しても、前同様被告竜口を相手として、前同様の理由による請求異議訴訟を提起し(同裁判所昭和三八年(ワ)第七七号事件)、以上両事件は併合審理の結果、昭和三九年一〇月二〇日、原告の右主張が認められて原告勝訴の判決がなされ、次いでその控訴審である福岡高等裁判所も昭和四〇年一〇月二九日被告竜口の控訴を棄却する判決をなし、該判決は、昭和四一年二月一五日になされた同裁判所の上告却下決定の確定により確定したので、同年三月三日、右第一、第二の各執行は、原告の執行取消申請にもとづきいずれも取り消されたこと。

(四)  そして、原告の被告竜口を相手とする前記請求異議訴訟において、被告兼光、同輝治は、証人として召喚をうけるや、前記第一、第二の各公正証書の記載内容が事実に吻合しないのに拘らず真実である旨偽証することを企図し、共謀のうえ、被告兼光は昭和三八年三月一一日、被告輝治は同年九月九日、原裁判所法廷において、宣誓のうえ、「被告兼光は原告、訴外深野から金員借用の申込みをうけたので、同人らに被告竜口を紹介してやり、被告竜口、訴外深野は、昭和三六年三月二四日、金一五万円につき利息金一万八、〇〇〇円を加えた金一六万八、〇〇〇円を、金一七万円につき利息二万五、〇〇〇円を加えた金一九万五、〇〇〇円を、それぞれ貸金額とする本件第一、第二の各公正証書を作成したのち、同日被告兼光方において、被告竜口が訴外深野に現金三二万円を貸しつけた。」旨虚偽の証言をして偽証したため、昭和四四年一二月二四日原裁判所において被告兼光は懲役八月、被告輝治は懲役六月(いずれも二年間執行猶予)の有罪判決の言渡をうけ、右判決はいずれも昭和四五年一〇月一一日確定したこと。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

四、以上認定の事実によれば、本件第一、第二の各公正証書はいずれも事実に吻合しないものであるのみならず、少なくとも原告に関する部分は原告の関与することなく作成されたものであることが明らかであるから、いずれにしても原告に対する関係においては無効であるというべきであり、したがって、右無効の各公正証書を債務名義としてなされた本件第一、第二の各執行もまた違法のものというべきである。そして、更に前認定の被告兼光、同輝治、同竜口の身分および生活関係、本件各公正証書作成の動機、経過およびその内容、これにもとづく執行の経緯ならびに債権者を被告竜口とする右各公正証書に対する原告の請求異議訴訟における被告兼光、同輝治の共謀による偽証行為などをあわせ考えると、本件第一、第二の各執行はいずれも形式上被告竜口を債権者としてなされたが、実質上は被告兼光を中心とし被告輝治、同竜口がこれに共同加功してなされたものであり、かつ右被告ら三名において右各公正証書が事実に吻合しないものであることを知りながら、あえてこれにもとづく執行に着手したものであると認めるのが相当であり、仮りに右三名において右各公正証書が事実に吻合しないことに対する認識を欠いていたとしても、前認定のごとく第一の執行開始直後、原告は第一の公正証書が事実に吻合しないことや原告の関与することなく作成されたことを理由とする請求異議訴訟を提起したものであるから、爾後右被告ら三名は、その点につき調査をとげ、違法の執行をできるだけ回避するよう努めるべきであったのに、本件全立証によっても右被告ら三名がその点の調査をとげたことを認めるべき証拠はないのみならず、右被告ら三名は右異議訴訟の進行中更に第一の公正証書と同時に作成された第二の公正証書にもとづいて第二の執行を開始し、右各執行が原告の執行取消申請により取り消されるまで実に三年有余にわたりその執行を継続したことは前認定のとおりであるから、原告の請求異議訴訟提起後執行を継続しあるいは執行を開始した右被告ら三名には少なくとも過失があったというべきである。

以上によれば、被告兼光、同輝治、同竜口は、本件違法執行につき故意または過失の責任を免れがたく、右執行は右三名の共同不法行為にあたるから、これにもとづく原告の損害について各自その賠償をなすべき義務がある。

五、次に、被告勝吾の責任について考えるに、本件全立証によっても、同人が本件違法執行に共同加功した事実を認めるにたる証拠はない。尤も被告勝吾が被告兼光の長男であることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば被告勝吾は被告兼光と同居しているものであることが認められ、さらに≪証拠省略≫によれば、被告勝吾は、前記請求異議訴訟において、証人として喚問されるや、被告兼光、同輝治と共謀のうえ、昭和三九年七月一四日、原裁判所法廷において、宣誓のうえ、前認定の被告兼光、同輝治の証言内容と同様の虚偽の証言をして偽証し、右偽証罪により、昭和四四年一二月二四日原裁判所において懲役六月二年間執行猶予に処せられ、該裁判は昭和四五年一〇月一一日確定したことを認めることができる。しかしながら、被告勝吾と同兼光との前記身分および生活関係のみから被告勝吾の本件違法執行に対する共同加功の事実を肯認するにたらず、またすでに本件第一、第二の執行が開始されてからかなりの日数が経過した後になされた被告勝吾の右偽証行為も、他に右執行に対する被告勝吾の積極的参加ないし協力関係を認めさせる特段の証拠のない本件では、これをもって右共同加功の事実を肯認すべき資料となすにたりない。他に被告勝吾につき本件違法執行につき共同不法行為者としての責任を肯認すべき証拠はない。そうだとすれば、爾余の点について判断を加えるまでもなく、被告勝吾に対する本訴請求は、すでにこの点において理由がない。

六、そこで、原告が本件違法執行により蒙った損害について検討するに、≪証拠省略≫を総合すると、原告は、本件第一の執行開始当時、昭和三〇年度以来二期連続して田川市議会議員としての地位にあったものであるが、右執行により地方議会議員の名誉とする歳費に対する差押をうけたためその現職議員としての名誉を毀損され、本人はもとよりその家族までをも暗たんたらしめ、殊に右執行が時あたかも昭和三八年四月三〇日施行の同議会議員選挙に先立ってなされたため、歳費を差押えられた原告に議員としての資格がないなどの噂が立ち、右選挙に立候補した原告のため選挙事務長をしていた訴外佐々木祥人(原告の選挙地盤である田川市東区東町地区長)からも、右噂が原因となって選挙事務長の辞退の申出をうけるなどのこともあってその選挙活動にもかなりの苦戦を余儀なくされ、益々原告を心痛させたことを認めることができ、また前認定の右違法執行を排除するために提起を余儀なくされた前記請求異議訴訟の経過からすれば、これにより蒙った原告の精神的苦痛も多大であったことを推認するにかたくない。

ところで、原告が右昭和三八年四月三〇日選挙に落選したことは前記のとおりであり、原告はその決定的原因は本件第一の執行にあると主張するが、≪証拠省略≫をあわせ考えると、原告は前記のごとく昭和三八年四月三〇日施行の同選挙には得票数八三九票で落選したが、次回の昭和四二年四月二八日施行の同選挙には八三二票という前回にくらべると七票少ない得票数で当選しており、しかも昭和三八年の選挙では議員定数が六名減少して三〇名となったうえ多数新人が立候補した激戦であったことがうかがわれ、また≪証拠省略≫によると、原告は昭和三〇年度以来二期連続して議員の地位にあり、その業績もかなり評価されていたうえ、その選挙地盤である田川市東区東町からもすいせんされ、かなりの固定票もあったところから、三期目の昭和三八年四月三〇日施行の選挙には、原告およびその運動員にも若干の油断もなかったとはいえない事情もうかがわれるから、右選挙に落選したのには、本件第一の執行のほか諸々の要因が相互にからみあったとみるのが相当であり、本件第一の執行のみがその決定的要因であったと断定すべき証拠はないけれども、前記各要因を比較検討するとき、右執行もその落選の一因であったことにはかわりなく、右は本件慰藉料を算定するにあたり斟酌すべき事情にあたることは否定できないところである。

以上のような各事情のほか、原告および被告ら三名の社会的地位、本件執行の態様、右執行中の被告ら三名の言動など本件に顕われた一切の事情を勘案すれば、原告が本件違法執行によりうけた精神的苦痛を慰藉する額は一〇〇万円をもって相当と認める。

七、なお、原告は、その毀損された名誉の回復処分として別紙内容による謝罪広告をも求めているが、本件第一、第二の執行がもともと個人間の個別的かつ非公開的事実である性格からみて、これにもとづく名誉毀損が新聞に謝罪広告を掲載しなければ回復できないものとは断ぜられず、前に見たとおり原告は、次回の昭和四二年四月二八日施行の選挙に当選したうえ、更に≪証拠省略≫によれば、昭和四六年四月二五日施行の選挙にも連続して当選して現に田川市議会議員の地位にあることが認められ、原告が被告竜口を相手とする請求異議訴訟に勝訴し、かつ被告兼光、同輝治が右異議訴訟における偽証により有罪となり、右各判決はすでに確定していることは前示のとおりであるから、これにより原告の名誉は充分回復されたというべきであり、したがって本件においては、過去において名誉を毀損されたことに対する損害については金銭賠償をもって足り、これとあわせて将来にわたって名誉を回復する手段としての謝罪広告をする必要性ないし利益はすでに消滅したものというべきである。そうだとすれば、この点の原告の請求は結局において理由がない。

八、以上の理由により、原告の被告城戸ヒデ、同林康博、同原田豊秋に対する本件控訴は不適法であるからこれを却下し、原告の被告兼光、同輝治、同竜口に対する請求は、金一〇〇万円およびこれに対する右被告らに対する訴状送達の後である昭和四一年五月七日から支払いずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の各自支払いを求める限度においては理由があるのでこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却すべきであり、また原告の被告勝吾に対する請求は全部理由がないのでこれを棄却すべきであるから、これと趣旨を異にする原判決を変更することとし、したがって被告兼光、同輝治、同竜口の本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、民訴法九六条、九〇条、九二条、九三条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤秀 裁判官 松村利智 篠原曜彦)

<以下省略>

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